新しく花粉症になった君へ

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真夜中に大声で泣き叫ぶ長男を、救急病院へ連れて行ったら花粉症だと診断された。そんな話を友人から聞いた。その子には何度か会ったことがある。頭のいい子だ。これから生じる多くの不具合について、さきに絶望したのだろう。

2016年は例年に比べてスギ花粉の飛散量が多い。友達が「花粉症になったかも知れない」と報告してくるたび、「ようこそ粉まみれの世界へ」と歓迎する。しかし、その多くは「今日って花粉飛んでる?」と聞いてくるビギナーである。当日の花粉量というものは、天気予報に聞くまでもなく自分の皮膚の異常が示してくれる。「これって太りますか?」と、巨漢に聞いてしまうくらいデリカシーの無いことだが、あいつらも悪気があるわけじゃない。そこに言及するつもりはない。

この文章は、新しく花粉症になった冒頭の子のような、さきに絶望したような、君へ向けたものである。 君が予想した通り、これから多くの壁にぶち当たる。学校が始まっても、だいたいスタートダッシュに乗り遅れる。キャラクター、つまり個性という意味で、教室は椅子取りゲームのようなものだ。自分が希望する椅子は、まず残っていない。薬を飲んでも飲まなくても眠くなり、受験で本来の力を出すことができない。浮腫みがち、目が充血しがち、鼻水出がち、モテない。心身ともに倦怠感がつきまとう。そのことを周囲は理解しない。さきに絶望して泣け叫ぶほうが正常だ。非難するつもりはない。ただ、新しく花粉症になった君へ、いくつか伝えておきたいことがある。

通常、人間は文字通り春を迎えて浮き足立った気持ちになる。君はその時期、絶望の淵にいるわけだから、馴染めるはずもない。しかし、そんな季節を何度か繰り返すたび、ある境地に達することになる。春だからといって、誰もが希望を見出している訳ではない。空が晴れているからといって、いい日だとは限らない。むしろ、雨の日にこそ生きた心地のする生命というものが存在する。いとも簡単に悲劇は喜劇であり、喜劇は悲劇になる。そんな文学的ともいえる物差しを、君は若くして手にいれたのだ。ビジネスでこじらせたり暗さを装ったりしてる連中とは、スケールが違うのだ。

世界は条理と不条理と花粉に満ちている。晴れた日への希望を捨てても、雨の日への希望を捨ててはいけない。ようこそ粉まみれの世界へ。君の感覚の解像度は、すでに粒子レベルに達している。

トルナトーレが、中年期のトトと同じ年齢になっていた。みんな元気だった。

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ニュー・シネマ・パラダイスにまつわるドキュメンタリー番組が、NHK BSプレミアムで不意に放送されていた。劇中で映画監督となって故郷に帰ってくるトトと、同い年になったジュゼッペ・トルナトーレ監督が、ロケ地であり生まれ故郷であるシチリアを案内しながら、映画誕生の秘密を明かす内容だった。

この映画といえば、ラストシーンを思い出す人が多いだろう。敢えてここでは明かさないでおくが、それは見事なエンディングだった。映画そのものへの深い愛がないと、描けない。映画そのものが持ち得た、唯一の物語。この映画が最初に上映されたのは、1988年。僕は、12才だった。映画館に入れなかった観客たちが暴動を起こしかかっていたのを、映写機の反射板を傾けることで隣のアパートの壁に映画を投影するシーンが印象的だった。早過ぎたプロジェクションマッピングとも言えなくもないが、現代風の言い換えがことごとく安っぽくってしまうほど、素晴らしいシーンの連続だった。フィルム時代だからこそ、効力のあった映画の魔法というものが、確かにある。

番組は、少年時代のトルナトーレが、カメラを持ち歩いていたことを紹介した。止まった世界のなかで、複雑な世界を垣間みる視点が、そこには既に備わっていた。加えて、映画鑑賞会などの一緒に企画するなど、思春期をともに過ごした同級生がこんなことを答えていた。

同級生:「トルナトーレは、映画のあらすじを語るのが上手だった。実際に見てみると全然おもしろくなかった」

監督は、物語の根幹を為すエピソードについても紹介していた。協会で定期的に催される教区映画館では、神父が映画を選ぶことになっている。だから、キスシーンが出るたびに、当時の神父は検閲の鐘を鳴らす。技師はその都度、フィルムに紙を挟む。以降、そのシーンは全てカットとなる。このくだりは、本当にあった話らしい。ただ、カットされたシーンは、少年が缶にしまったきり、どこかへ勝手に持ち出してしまったのだと言う。消えてしまったキスシーン。これにまつわる妄想が、やがてニュー・シネマ・パラダイスを象ってゆくことになる。

主役のトト少年は、シチリアで生まれ育った少年をキャスティングすると、最初から決めていたらしい。番組の最後で、映画に出たことが、今後の人生にどう影響したのか。トト少年時代役の俳優(サルヴァトーレ・カシオ)に、監督が聞いていた。

トルナトーレ:「気をつけなければならない。映画の世界は素晴らしいが、冷酷でもある。映画で成功した子役は、いつか大人になってしまう。苦しい思いをすることもある」
カシオ:「人見知りだったこともあり、俳優を続ける選択はしなかった。でも、ニュー・シネマ・パラダイスは、僕の人生の大切な一部」
トルナトーレ:「それを聞いて、安心しました」

いい映画を撮ることに加えて、それが役者の人生にどう影響したのかを心配している辺り、実にトルナトーレらしいと思った。カシオは現在、シチリアでレストラン兼宿泊施設を経営している。俳優業からは離れてしまったが、あの映画のような人生については、ちゃんと書き残しておきたいのだという。

トトのモデルとなった映写技師も、インタビューに答えていた。映画を観たときに自分自身のことが全て描かれていると感じたと、涙ながらに話していた。物語を描くとは、つまりそういうことなのだろう。

トルナトーレ:「映画で描いたものは全て、現実に存在した」「想像力なんて、ひとつも使わなかった。映画館のなかには、必ずといっていいほど、登場人物と会話する人がいる」「ニュー・シネマ・パラダイスで私が描きたかったのは、かつて映画が娯楽の中心にあったという時代があったということ。映画の中で素晴らしい人生に出会えることを知ってほしかった」「映画は決して死なない。映画は愛のように、永遠なのです」

「撮るな、撮れ!」という呪いのような名前を与えられながら、映画監督という天職を真っ当するトルナトーレ。その言葉は、どんな台詞よりも美しい。新作はラブストーリーらしい。超ひさびさにブログ書いたのに、こんな終わり方でごめん。みんな元気。

大きくて個人的な、割れんばかりの拍手だった。

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昨晩、世田谷文学館で、筒井康隆の朗読会が行われた。御年80才。現在展示中の『日本SF展』の監修も務めている氏のことである。何かしら、SF総決算的な作品が選ばれると予想していた。 予想は見事に裏切られた。新潮2014年1月号に掲載の新作『ペニスに命中』を選んだのである。「SF展だというのに、SFは選ばなかった」「読むとちょうど1時間くらいだから」と、根拠について明かした。果たしてそれだけだろうか。朗読に耳を傾けながら、考えていた。

ペニスに命中は、高度な思考を持ったまま老齢を迎えた男の話だ。食卓の上の置き時計が珈琲カップを壊してくれと話しかけてきたり、二百万円と拳銃を持ち逃げしたり、2ページ後の未来を予言したり、死後硬直のまま歩いてくる婆さんと衝突したり、笠智衆の声色を使ったりするお話。主人公と同じく銀齢を迎えた作家、最先端の筒井の感覚を文体化したものだった。 感覚に嘘をつかず、立場に溺れず、現在形で一番おもしろいと思う新作をSF展の会場で朗読する。なんてかっこいいんだ。

朗読が終わると、観客から惜しみない拍手が送られた。それは、本を閉じる度に読者がそれぞれ感じてきた「あー、おもしろかった」を一堂に会したかのような、大きくて個人的な、割れんばかりの拍手だった。

ビルのゲーツのビジターのパスを、持って帰ってきてしまった。

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ヨーロッパ企画。新作の『ビルのゲーツ』が各紙各所で大絶賛。友人として嬉しい、半分は悔しい。「意味とかじゃない」「そういうの要らない」何気ない台詞の中に、劇団が貫いてきた姿勢が示されていた。つまらない批評を寄せつけないユーモアの存在に、また新しく気づかされた。

二回の観劇を終えて、昨晩はアフタートークに出演した。さっきまで舞台に上がっていた役者(石田剛太さん、永野宗典さん、諏訪雅さん)、あの舞台を作り上げた作家(上田誠さん)と一緒に、ビルのゲーツを通ってお客さんの前に出た。いつになく緊張した。劇の構成が複雑になり過ぎないための苦心だとか、横山裕一に於ける『NIWA』の話だとか、フロア設定の順番工学だとか、作・演出・開発をした舞台『パターン』の話とか、しようと思ったけど、お客さんは、表のビルのゲーツの話を聞きたいだろうなと、セーブした。

ビルのゲーツのビジターのパスを、持って帰ってきてしまった。よくやってしまうことなのだが、このパスは特別である。再び幕が開くその前に、劇場へ返しにゆかなくちゃ。

あの人の一部は映画でできている

7月4日、タイトルと同名のイベントに出演し、「紹介しきれなかったものも含めて、プレイリストにして公開しまーす!」とお別れの言葉を残したきり、多忙に任せてうっかりそのままでした。約束通り、公開します。

Q1:初めて映画館で観た映画、初めて泣いた映画は何ですか?
A1:ET(1982年公開)



当時5才。自転車が陸から離れるシーンに感動。大人VS子供の図式がよかった。いつかETに会いたいと思っていたら、学生のときに半分仕事で訪れた(オープン前の)USJのETアドベンチャーにて再会。入場時に何度も名前(十夢/とむ)を大阪弁で聞き返されて変に思っていたら、アトラクションのアトラクションで、ETが手を振って自分の名前を呼んでくれるという感動のおまけ付きだった。前の方のお客さんから順番に名前を呼ばれてゆき、ついに僕の番。ETは大きな声で「トメ〜」と僕を名前を呼んだ。おばあちゃんじゃあるまいし。露骨に落胆した。 


この映画の影響で、赤いパーカーばかり子供の頃は着ていた。大人になって「赤パーカー」なる男がインターネットに登場して、微笑ましかった。 



Q2:初めてお小遣いで観た映画は何ですか?
A2:ゴーストバスターズ(1984年)

ベチョベチョになるビル・マーレー:このシーンがあることで、ゴーストの触り心地が観客に伝わる。凄い、触覚の拡張だと思った。 


三人いると何となくおもしろくなる: 同じ格好をしているだけで、おもしろくなる。 


ゲーム化の難しさ:映画があんなにおもしろかったんだから、ゲームがつまらない訳がない。と思って、何人の少年たちがこのゲームを買ったことか。。



なんか怪しいレイ・パーカー・ジュニア: このミュージックビデオを最初に見たとき、なんか怪しいと思った。少年の勘が正しいかったかどうかは、バック・トゥ・ザ・フューチャーに続く。 


Q3:人生観に影響を及ぼしたほどインパクトのある映画はありますか?
A3:あります。4本あります。

A3-1)バック・トゥ・ザ・フューチャー(1985/1989/1990)

Nike Air 2015 Kicks



Hill Valley 2015
 



Hover Board
 

 
ブルーレイのボックスセットについてた解説本で、ロバート・ゼメキス監督がこの映画の着想について語っていた。確か、こんな内容だった。「テクノロジー満載の映画だけど、人間を描けばわかってもらえるものになると確信していた。例えば、お父さんやお母さんが聞かされた子供の頃の苦労話。これを本当に自分で確かめることが出来たら、おもしろくなるとは思いませんか?」 この映画に描かれた未来は2015年のことで、もう来年の話。

MVが拡張現実っぽい


ヒューイ・ルイス、審査員役でうっかり出演


ゴーストバスターズ VS BTTF 代理戦争勃発


ゴーストバスターズの主題歌は、バック・トゥ・ザ・フィーチャーのテーマ曲を書いたヒューイ・ルイスのアルバム曲の丸パクりだった。のちに裁判沙汰になるのだが、これは流石に酷いと思った。現象をパクっちゃいけないと思った。 勘が当たった。

A3-2)グーニーズ(1985)
自らの発明で苦難を乗り越えるデータの活躍が、他人事じゃなかった。グーニーズのゲーム化は成功だった。

A3-3)ガープの世界(1982公開/1985鑑賞)



原作も映画も大好き。ジョージ・ロイ・ヒル監督凄い。特に好きなのが、魔法の手袋のシーン。道ばたに落ちていたゴミ同然の手袋からだって、作家は物語を作ることができる。喜劇は悲劇に、悲劇は喜劇にできる。誰かが「言っていいこと」にしたことを、みんなの「そうだそうだ」に同調するのは容易。作家の仕事じゃない。つまり、僕の仕事じゃない。子供ながらに覚悟した。 


A3-4)のび太の魔界大冒険(1984)
魔法と科学。出来杉くんによるリアルな魔法談話。魔法の世界のコマーシャル。たのしいまほう しょうがく1。科学という迷信。のび太が唯一覚えた魔法。

<<中略>>

Q5:好きな映画監督は?
A5:テリー・ギリアムモンティ・パイソン)、ウディ・アレンスパイク・ジョーンズミシェル・ゴンドリーなど 

テリー・ギリアムについて
未来世紀ブラジル夢の中に出てくる女性と、現実に出会ってしまう。わりと近い感覚ある。フネレルレンズの使い方とか、テレビモニターの丸っこい感じとか、好き。 



フィッシャー・キングガープの世界で、けして結ばれることのなかったエレン・ジェイムズ役の女性と、この映画で結ばれる。最もロマンティックな拡張現実のひとつだと思っている。 



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ロビン・ウィリアムズのご冥福を、心よりお祈りいたします。

作家とは、かっこいい生き物なんだ。

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筒井康隆。今年で80歳を迎える。自ら「作家としての遺言」と銘打った最新著作の刊行記念イベントが、さきごろ講談社で行われた。参加フォームに、筒井康隆への質問状という欄があったので、実名とともに書いておいた。それは、いつか筒井さんに会うことができたら、直接聞こうと思っていたこと。イベントの体裁としてはペンネームでもよかったのだが、ここは実名でないといけない気がした。

イベントは、冒頭に簡単な挨拶があったあと、質問にいくつか答えて、朗読を最後に一編という構成だった。創作の極意と掟は、時代とともに変遷するのか。小説の源流はどこにあるのか。ロゴスは存在するのか。星新一小松左京半村良らのSF作家と同時代を生きて、どんな極意を学んだか。など、いくつかの質問に答えたあと、不意に僕の名前と質問が読み上げられた。

質問:何か小説になりそうな題材をみつけたとして、それが最終的に小説になると確信するのはどんな瞬間ですか?(川田十夢

椅子から飛び上がりそうになった。考えてみれば、こうして客席にいながらにして質問状を読み上げられるのは初めての経験だった。筒井康隆は、こう答えてくれた。

返答:着想が小説になり得るかどうかは、文学的な蓄積によってのみ判断できる。題材が自分にむいているかどうか、その蓄積から判断できる。逆に、これは小説になり得ないのでは?というものを、えいっと書いてしまうこともある。だが、責任は作家が取らなくてはいけない。(筒井康隆

予想していた答えとは、少し違っていた。でも、その真意は受け取ることができた。筒井康隆は、誰も書いたことがないものを書いてきた作家だ。あらゆる作家が手段として選んできた文章読本越しの文体肯定も、いままでしてこなかった。それを最後の長編小説、聖痕を書き上げたあとに、こうして遺言として発表しているのは、つまりそういうことだ。何を書くかではなく、どう書くかが問題なのだ。

筒井康隆は、最後に自らの短編を、自らの声で読み上げた。壊れかた指南に収録されている鬼仏交替。1分ごとに気分が変わってしまう奇病を患った男の話。仏のような表情だったのが一変、鬼の形相に変わる。眼前の人間に罵詈雑言を捲し立てる。その声色の変化を、筒井康隆が自らのタイミングで与える。読み上げる。これが、見事だった。満場の拍手に見送られながら、筒井康隆は会場をあとにした。なんてかっこいい去り際なんだ。作家は、かっこいい生き物だ。生き方ではない、生き物なんだ。町田康の朗読を聞いたときも、同じことを感じた。町田は自分を構成する重要な作家として筒井康隆の名前を挙げ、夜を走るという小説を読み上げた。まるで、自分の作品のように。捲し立てるように。

帰り際に購入したサイン本の帯には、町田康の名前があった。伊坂幸太郎の名前もあった。僕の名前は、まだ無かった。

使わないでとっておいた古い切符で、夏。

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十代後半の僕には、ひとつ決まり事があった。大好きな寅さんに足元から近づくために、毎年毎年柴又の履物屋さんまで出かけて、新しい雪駄を購入する。ニューモデルと称して、一年間履き続ける。それがある日、不意に破られた。買ったばかりの雪駄の鼻緒が突然切れたのだ。露骨に嫌な予感がした。

寅さんが亡くなっていた。訃報は三日遅れで公のものとなった。松竹の発表では「寅さんの愛称で親しまれた渥美清さん」となっていたが、僕にとっては他でもない。寅さんを、かけがえのない人を、失った。

丸一日呆然としたあと、ふらふらと帝釈天へ向かった。境内には寅さんを偲ぶおじいちゃんおばあちゃんが大行列をなしていた。なんとなく並んでいると、すぐ後ろのおばあちゃんが、数珠をジャラジャラ言わせて僕を拝んでいた。娘らしきおばさんが「すいません。ほら、おばあちゃん。こちらは寅さんじゃないのよ。拝んじゃ駄目よ。」久しぶりに笑った。とたんに、気持ちが楽になった。列をおばあちゃんに譲って、帝釈天をあとにした。柴又から出てる京成金町線の切符を買ったけど、使わないで大切にとっておくことにした。次の中継駅まで歩きながら、考えた。悲しみに暮れる孤独について、寄り添うように生じるユーモアの存在について、十九の夏だった。

寅さんと僕の話は、話せば長くなる。長くなるから、簡単には口に出してこなかった。時は来た。大好きな寅さん。ユーモアの原点。原宿シネマで、お待ちしております。

原宿シネマ 
http://www.harajukucinema.com/movie/tra2014_01.html