ありがとうおでん、ありがとう。

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通りすがりのあなたは、お気づきだろうか?セブンイレブンが、おでんに感謝している。これを発見してから、誰かに言いたくて仕方がなかった。でも、ためらった。この現象にどれくらいの人が気がついているのか、まずはセブンイレブンいい気分、森の学校(という僕が先生をつとめる課外授業)でご機嫌を伺うことにした。

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授業のメインテーマは『妖怪』だった。都市生活に潜む疑問符をグループごとにひろいあげて、フォルムを与えて、オリジナルの妖怪を作ろうという趣旨。それはそれで大切なことだが、僕は僕で目論見があった。「ありがとうおでん」は、どのくらい認知されているのか。例題として紹介しつつ、公開アンケートをとってみることにした。

結果は、参加者の大半が知らないという状況だった。なかには「言われてみれば、、」という人もいたが、最初に日常の疑問符について聞いたときに真っ先に出てこなかったことを鑑みれば、まだこのキャッチコピーの凄さに気がついている人は少ないようだった。

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考えてもみてほしい。セブンイレブンが「ありがとうおでん」というキャッチコピーを全国展開する斬新を。ローソンが「ありがとうからあげクン」、ファミリーマートが「ありがとうファミチキ」、森ビルが「ありがとうラフォーレ原宿」という横断幕を用意したことがあるだろうか。そもそも「近くて便利」という、言われてみればその通りというコピーを展開し始めた頃から、セブンイレブンは次元を越えていた。その路線の到達点が「ありがとうおでん」であると言えるのだ。

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森の学校はおかげさまで大盛況。ありがとうおでんのネタも大反響。ただ感想を述べるのもなんだか申し訳ない。すでに確立された文体からさらに拡張解釈をして、来年の夏の展開を考えてみた。一連のコピーや企画の当事者であるところの伝説の広告マンであり魚屋でもある永澤仁さんに、サングラスの是非を問うてみたい。ついでに久々に飲みに行きたい。いいおでん屋、きっとご存知のはず。

告白でもするみたいな気持ちで、告知。

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大北栄人さん。この人が書くコントが大好きだ。彼が主宰している明日のアーの舞台を初めて観たとき「ライターをやってる人がコントを書いたんじゃなくて、コントを書きたい人がライターをやっていたんだな」と、やけに納得した。はじめて長編の劇作を書き下ろしたと聞いたので、7月8日14時の回を予約した。備考欄の中で「アフタートークのゲスト、この時間だけ決まってないようなのでよかったら出ますよ!」と手を上げた。自分からアフタートークしたいと申し出たのは、これが最初で最後だろう。それくらい楽しみな作品だし、人物である。

宮川サトシさん。母を亡くした時、僕は遺骨を食べたいと思った。最初に連載を読んだ時、僕は単行本になってから読もうと思った。オモコロで情熱大陸への執拗な情熱を読んだときも同じ、片手間で読むのはもったいない気がした。先日、ご本人が本を持って事務所まで来てくれた。僕がうっかり上陸経験者であることもあり、単行本が発売された記念にと出版社が対談を企画してくれた。おもしろい作品を描ける人のしゃべりが、ちゃんとおもしろいと安心する。ほろほろと奥ばった感情が解けてゆく。楽しいひととき、帰ってから単行本をじっくり読んだ。まだ余韻が残っている。すぐに会いたい。7月6日の夜に渋谷ロフト9で開催されるイベントを観に行くことにした。少しだけ、トークすることになった。こっちは、ちゃんと頼まれた。

湯浅政明監督。マインドゲーム、四畳半神話大系、ピンポン、夜は短し歩けよ乙女。どれをなんど観ても、やっぱ天才だなーと思う。最新作、夜明け告げるルーのうたは、評価だけでは食べてゆけないと感じた監督が、広く一般に求められるような題材で普通に映像化したものであるらしいという雲行きの怪しい噂を、関係者から聞いていた。観てみたらいつも通りの湯浅パース。音楽と重力、光と影、揺れ重なるトーン&マナー、踊る気持ちと踊りたくなる気持ちは違う。影響を隠さないことで、はじめて獲得する自由というものがある。王道のファンタジーが持つ力を、現代の感覚で蘇らせていた。見事だった。直接お話をうかがってみたい。プロダクションに直接オファー、僕がナビゲーターを担当しているラジオ番組のゲストに来てもらえることになった。

ラジオを続けてみてわかったんだけど、僕の声に耳を傾けてくれる人は感受性が豊かな人が多い。想像力は持て余すのではなく、満たしておいて欲しい。だから、いいの見つけたら、まっさきに伝えたい。感覚のご近所さんに、お裾分けしたい。以下、スケジュールのまとめです。以上、告白でもするみたいな気持ちで、告知。でした
7月6日(木)情熱大陸出たい漫画家・宮川サトシの『勝手に大陸アカデミー賞 http://www.loft-prj.co.jp/schedule/loft9/68643
7月8日(土) 昇悟と純子『evergreen(エバーグリーン)』
14:00からの回、アフタートーク出演
https://shogotojunko.tumblr.com/
毎週金曜日 22時から J-WAVE『INNOVATION WORLD』
湯浅政明監督の回は8月4日放送予定
http://www.j-wave.co.jp/original/innovationworld/

作る風と書いて作風、与える旅と書いて寄り道。

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https://www.apple.com/uk/detour/

ミシェル・ゴンドリーという人物の作風について、単に夢みたいな映像を作る人だと当時は思っていた。iPhone7で撮影されたこの短編映画とトリック集をみると、点在するアイデアをどのような順番で組み立てれば現実との面積を広く持てるか。長く退屈せずに観てもらえるか。余白につながるか。キャリアを重ねるたびに着実に設計して、夢の領土と持ち時間を拡張してきたことがわかる。

イデアは悪くない。でも、それが思った以上にスケールしない。何百億の人に観てもらいたいのに、まだ数十万人の範囲にとどまっている。そんな自分に問いたい。修辞の力を信じているか。結ぶ順番に美学はあるか。工学は足りているか。ひとつの点を成立させることに、留意し過ぎてはいないか。

「考え過ぎだよ。ペダルを漕ぐ方法なんて人それぞれさ」

10分57秒の動画を繰り返し観たら、3回目にこう言われた気持ちになった。冒頭タイトルの手書きのアニメーションにはこう書いてあった。Détour(=寄り道)、なるほど。技術を開発する側は、それが許されないところがある。使う人にまで、それを強いてはいけないな。

寄り道することによって心の距離が縮まった。ありがとうミシェル・ゴンドリー。もしもいつか会えたら、親しみを込めて「ゴンちゃん」と呼ばせてください。開口一番、引かないでください。

ヴィム・ヴェンダースは、パリ、テキサスを、39で撮った。

誰も招かなくなって久しい。荒涼としたリビングで、こないだの会議を振り返っていた。最初に出した僕のアイデアが、みるみる痩せ細ってゆく。前例に汚されてゆく。不毛だ。40前の僕なら、とっくに帰ってそのまま戻らなかっただろう。テレビに流れるのは、パリ、テキサス。陸橋でひとり怒鳴り散らすあの惨めな男のように、孤立するしかなかった。

星にタッチパネル劇場が、今年で2回目を迎えた。話題が先行しているが、大切にしてきたアイデアを信頼できる仲間や兄弟と育てた甲斐があって、僕にしては珍しく運用が成功している。最初に掴んだイメージに強度があったのだと思う。 通信速度と光、時間と距離、仮想と現実が織り成すタイムラグ。閃きを1枚の紙に写した。

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このスケッチが何なのか、当初あまり理解してなかった。通信に必要なタイムラグと、星の光が届くまでの時間に、ポエジーを感じたのかも知れない。だが、きっとそれも後付けに過ぎない。自分の潜在も滞在も越えたところにある、漠としたアイデアを書き残しておいたのが、よかった。

そのあと、タッチパネルのUIを考え、通信の設計を整え、リアリティの根拠を記して、キービジュアルはいちばん最後に作った。星を操る機能は、20を数えた。

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グラフィックデザイナーであれば、最初にビジュアルを作るのかも知れない。プログラマーであれば、シンプルなソースとGitHubの取れ高を計算するかも知れない。僕は開発者だから、時間と空間を耕すことを第一に考える。技術や整頓や賞賛は、それを適える手段に過ぎない。

パリ、テキサスは、嘘みたいな夕暮れ。水色のカーディガンを羽織った女が、鼻歌を歌いながら静かな眠りについた。さて、あの分散した矢印をどうしてゆこうか。まず、居合わせた人間を全信頼してみてはどうか。運命を肯定するのだ。美学の言葉を、工学の力学に翻ればいい。小さい矢印をまとめあげて、大きな矢印に変えてゆく。方針は決まった。来週、もう一度試してみよう。 突然、新しい別のイメージが浮かんだ。与えられた設定を知らぬまま落下してゆく、行間の断崖から大気を感じつつ、重力の方向へ時間が展開してゆく物語。タッチパネル劇場のときのような、まだよくわからない確かな感触。このアイデアは、誰も手が届かない高い場所にしまっておこう。有無を言わさず、形にしておこう。

そろそろ終盤。この映画、何度観たことか。あの残酷で美しいラストが、今回は変わって見えるかも知れない。映画監督、ヴィム・ヴェンダースは、パリ、テキサスを、39で撮った。僕は40になった。

バットでボールをぶっ叩く気持ち良さについて(その1)

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Pokemon Goが話題ですね。これをもってVRブーム終了。ARブームに大きくシフトするなんて短絡的な文章が、インターネットで踊っていました。ぜんぜん違う話のようで、やがてつながる話。ザリガニワークス 武笠さん坂本さんとバーグハンバーグバーグ シモダさんを招いてトークイベントをしたときのこと。客席から「おもしろいゲームって、どうやって作ればいいですか?」みたいな質問が出た。武笠さんが間髪入れずにこう答えた。 

「例えば野球って、バットでボールをぶっ叩く気持ち良さがあるからこそ、おもしろいんですよね。この根本的な良さが中心になければ、野球は全くおもしろくならない」 

僕を含む登壇者は内心「(すげー)」ってなったのち、「バスケは手でボールをぶっ叩くのが気持ちいい」だとか「フェンシングは横向きで相手をぶっ刺すのが楽しい」だとか、「◯◯をぶっ△△する」という表面的な響きの気持ち良さに引っ張られたトークに終始してしまったが、この指摘は露骨にクリティカルで、イベントが終わったいまも余韻が残っている。確かに、野球をプレイするのも野球観戦もベースボールカードもエポック社の野球盤もファミスタも全部、バットでボールでぶっ叩く気持ち良さが中心にある。さすがはコレジャナイロボを作った人物の指摘である。 

Pokemon Goの元になったポケットモンスターは、「ボールにモンスターを封じ込める(ゲットする)」気持ち良さが中心にある。この気持ち良さは、かつては昆虫採集という遊びに集約されていた。現代っ子は、虫を触わることができない。モンスターだって、もし目の前に実在してもきっと触れない。触感をスキップしてモンスター同士を戦わせてボールに回収できるからこそ、それをコレクションできるからこそ、図鑑を完成させる目的があるからこそ、図鑑に載っていないモンスターを友達に見せびらかせられるからこそ、スタジアム対戦で注目を集めるからこそ、ポケモンは世界を熱狂させるまでになったのだ。「バットでボールをぶっ叩く気持ち良さ」を発見しない限り、Pokemon GOのようなゲームを作ることはできない。AR技術を使っているからといって、Googleが協力しているからといって、自動的におもしろくなるわけではないのだ。

デバッグのためのソナタ

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2020年からプログラミング教育を全国の小中学校で必修化するという考えを、政府が成長戦略のひとつとして打ち出した。まずはその準備として有識者による会議が重ねられてゆく。プログラミングという新教科を設置するのではなく、どうやって算数や理科に位置付けしてゆくかを議論するらしい。プログラムをプログラムとして教えるよりは、はるかにいい出発点だと感じた。

冒頭にある譜面は、現行学習指導要領に定められている、小学校6年間で子供たちが覚えるべき音楽の記号を網羅したオリジナルの楽譜である。経験をカジュアルにダウンロードできる世界を夢想する僕は、小学校で扱うすべての譜面を最初から簡単に読めるようになればいいと考え、実装に移した。

この譜面はまだ、音楽記号を読む機能を確かめるための素材に過ぎず、音楽的な美しさを網羅していない。会議に参加される有識者のみなさま、算数や理科に限らず、音楽や美術の時間にもプログラミングを導入してはいかがでしょう。そうすれば、アノテーションがないと機能しない人工知能も必然的に拡張され、人間をより深く知るきっかけとなります。デバッグを繰り返すように、ソナタが楽章を重ねるように、工学と美学を同時に学べるようになります。文学も音楽も豊かになります。教育とは未来に希望を託すこと、どうかよろしく。

僕のマイバックページ

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ボブ・ディランが1964年に発表したマイ バック ページという楽曲がある。1995年に真心ブラザーズが『KING OF ROCK』の中でカバーしてたから、日本語訳のほうが耳に残っている。少し気になって、今になって原曲の歌詞を確認してみた。

Crimson flames tied through my ears Rollin' high and mighty traps

歌い出しからイメージと違う。YO-KINGが書いたと思われる和訳は

白か黒しかこの世にはないと思っていたよ 誰よりも早くいい席でいい景色が見たかったんだ

・・・だった。blackとかwhiteとか出てくる箇所から逆に探してみると、2番の歌詞に該当する箇所があった。

Lies that life is black and white Spoke from my skull. I dreamed

直訳すると「人生は黒と白だという嘘を 私の頭蓋骨がしゃべる夢をみた」で、YO-KINGによる歌い出しと比べるとなんだか味気ない。サビを確認すると

Ah , but I was so much older then , I'm younger than that now.

・・・とあり、これは忠実だった。いよいよ止まらなくなって一言一句照合してみたのだが、僕を好きだと言ってくれた女たちも、僕を素晴らしいと言ってくれた男たちも、穴の空いた財布も、厳密には出て来なかった。

これが英語の試験問題だとしたら、教師は間違いなく不正解を与えるしかないだろう。でも、芸術の世界ではこれが大正解。クレジットは作詞作曲ボブ・ディランのまま。あくまでカバーとして発表しているのも潔い。よく見てみると原曲は『My Back Pages』でページが複数に渡っており、カバーは単数形だからボブ・ディランの1ページをあくまで切り取ったという意思があったのかも知れない。まったくの偶然かも知れない。

18歳のときはじめて聞いた真心のマイ バック ページ。こうして何度も振り返れることこそ、ボブ・ディランが歌っていたこと。YO-KINGが歌い継いだこと。大切な僕の1ページ。